在日大韓基督教会川崎教会

わたしは柔和で謙遜なものだから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい マタイによる福音書11章29節

TEL.044-288-2930

〒210-0833川崎市川崎区桜本1-8-22

牧師紹介
牧師:金健(きむごん)김 건
1959年 日本生まれ
東京神学大学大学院卒業
大韓基督教監理会神学大学特別研究生
カナダヴァンクーヴァー神学大学院留学
在日大韓基督教会札幌教会担任牧師 大阪教会副牧師
下関教会担任牧師を歴任
現在関東地方会会長 桜本保育園園長



A「キリスト者の言葉」Ω
ペルーのリマ郊外にある「新しい町」のひとつに数カ月滞在していたとき
「逆方向の派遣(ミッション)」という言葉を初めて耳にしました。私は
貧しい人々を助けるために北アメリカから南アメリカにやってきましたが
そこで暮せば暮らすほどもうひとつの派遣があることに気づきました。
それは、南から北への派遣です。●北アメリカにもどったとき、私が第一
なすべきことは、アメリカやカナダの裕福な兄弟たちを、南アメリカの貧
しい人々が回心に導く手助けをすることだと深く感心しました。●そのとき
以来私は、神の霊が働いておられるところではどこでも、逆方向の派遣があ
ることにl気づくようになりました。●1965年の夏、私は公民権運動を支持
するために、セルマからモントゴメリーまで数千の黒人や白人と共に行進
しました。マーチン・ルーサー・キング牧師がすでに述べているように、
公民権運動の持つ深い霊的な意味は、白人が回心するように黒人が呼びかけ
ることにあります。●それからすいぶんたち、私がラルシュ・コミュニティに
加わり、知的障害を持った人たちと共に住み、働くようになって間もなく
分かったことがあります。私の本当の仕事は、私が助けようとしている人々
から、私が、また私を通して多くの人々が、彼らのまたとない霊的な賜物を
いただくことにある、ということです。●この「逆転」は神の御霊のしるし
です。貧しい人々は富んだ人々へ、黒人は白人へ、障害を持つ人々は「健常者」
へ、ゲイの人々はそうでない人々へ、死にゆく人々は生きている人々へ、派遣
されているのです。この世があわれな犠牲者と見なした人々を、神は喜ばしい
知らせの担い手として選ばれました。●シロアムの塔が倒れて十八人が死んだ
ことを聞いたイエスは、その人々が死んだのは他の人々より罪深かったためか
と問われて、こう答えました。「そうではない。はっきり言うが、あなたがた
も悔い改めなければ同じように滅びます。」●イエスは、その犠牲者たちが私
たちを回心へと招く伝道者となったことを示しておられます。これこそが、私
たちが驚いてやまない逆方向の派遣です。

ヘンリ・ナウエン「いま、ここにいきる」より

A「キリスト者の言葉」Ω
「すべてが辛いとき」 By ヘレン・スタイナー・ライス

いちばんよくご存知ない神さま
私たちにとって何が一番よいのか父なる
神さまはご存知で
不平を抱くことがあるでしょうか
私たちはいつも日の光を欲しがるけど
雨がふらなければならないことを神様はご存知で
私たちは笑い声や歓楽を愛するけど
もし一滴の涙も知らなければ、
心の中の潤いは消えるでしょう。
時には辛さと悲しみで私たちを試みられる神様
その試みは罰ではなく
明日を迎えろと私たちを励ましてくださる。
暴風に打ち勝てば 育っている疑義木々は力を得
のみで鋭くえぐれば
大理石が美しさと形を現すように
神様はむやみに私たちを傷つけたりなさらず
私たちの痛みを見捨てられず
何かを取り去れば、またいっぱいに満たしてくださる
こんなにも惜しげなく与えてくださる祝福を思うと
不平をいう理由も 悲しむ時間もありません
父の私たちへの愛は変わることなく
魂の痛みが必ず必要なときには
喜びをくださることなく
苦悩が押し寄せ、すべてが辛いとき
それは私たちの中で神様が働かれ
あなたが置かれた現実がとても厳しいからといって
気落ちしないでください。
神様はあなたの生涯を美しく造られるのですから


A「キリスト者の言葉」Ω

生きている中で、私たちは色んな失敗をしてしまいます。
ささいな小さな失敗から、人を巻き込むような大きな失敗まで。
私は、数えきれないほどたくさんの失敗をしてきました。
まだ10代の頃はとくに、人を理解することもできず
色んな人を傷つけてきて、いえすさまの愛を知ってからも、
いえすさまを伝えようと行動を起こすたびにむしろ散らかしてしまったり、
心から、自分なんていない方がいいと感じてしまったことがありました。
でもある時、私も、こんな私もゆるされていることに気づかされました。
その中で、どれだけいえすさまに愛されているのかも、

気づかされました。十字架の御業。
それは、神様が私たちに示してくださった愛とゆるしの証。
私は、その肝心な十字架の御業を、
自分の弱さや、起こした失敗の問題ばかりに
とらわれて、完全に見失っていたのです。
私たちは、すでにゆるされ、愛されています。
真っ白にされ、義の衣を着せられ、
失敗はプラスに変えられ、散らかした所から
誰も思いもしなかった「新しい幸せ」を作り出してくださる。
たとえ人から見下されても、見離されても、
聖書にあるとおりむしろ見下される私たちの人生を
主は用いてくださる。
全てを益としてくださる主が、計り知れない
大きな希望が、私たちと共にいるのです。
だからもう、私は、どれだけ自分の弱さや汚なさを
この目で見てまた感じてしまっても、
罪悪感に流されても自分を駄目だと思わないで、
こんな私をもゆるし、愛し、散らかしたところから
新しい幸せを作り出してくださる主を、

いえすさまをほめたたえたいのです。
いえすさまは、私たちをこんなにも愛し、
ゆるし、ゆるがない希望として私たちにいつも手を差し伸べてくださる。
その大きく温かく力強い御手をしっかり握りしめながら、
これからも一歩、一歩いえすさまと一緒に。
ハレルヤ、ハレルヤ。

「えと、みことばと、いえすさま」より